神社の謎
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神使と霊獣by 神社の謎 編集部

白馬節会の謎 — 正月に白馬を見ると邪気が祓われる宮中信仰の千年史

白馬節会(あおうまのせちえ)は、奈良時代から平安時代の宮中で正月七日に行われた、左右馬寮の白馬を天皇が観覧する儀式です。なぜ「あおうま」と読むのに白い馬なのか、馬を見るだけで邪気が祓われるとされた信仰の根拠、賀茂競馬や住吉大社の白馬神事など神社に受け継がれた伝統、そして現代の白馬信仰の系譜まで、神使としての馬の謎を解き明かします。

雪の積もった境内を進む神聖な白馬を抽象的に描いたイラスト
神社の謎を紐解くイメージ

白馬節会とは何か — 正月七日の宮中行事

白馬節会(あおうまのせちえ)は、奈良時代から平安時代にかけて宮中で行われていた、正月七日の重要な節会(せちえ、宮中の祝宴儀式)の一つです。「節会」とは、季節の節目に宮中で催された公式行事のことで、一月の元日節会、白馬節会、踏歌節会など、年間を通じて複数の節会が定められていました。

この白馬節会の中心となるのが、天皇が左馬寮(さまりょう)・右馬寮(うまりょう)に飼育されている白馬(青馬)を観覧する儀式です。天皇は紫宸殿(ししんでん)の正面に出御し、左右の馬寮から引き出された白馬が、天皇の御前を粛々と進んでいきます。馬の頭数は左右各七頭、合計十四頭から、時代によっては二十一頭に及んだとされます。

白馬節会の核心にある信仰は、「年の初めに白馬を見ると、その年一年の邪気が祓われ、無病息災で過ごせる」という古代の俗信です。馬という生き物そのものが持つ霊力、特に純白の馬の特別な神聖さに対する信仰が、この壮大な宮中儀礼の根底にあるのです。

本記事では、なぜこの儀式が「あおうま」と呼ばれながら実際には白馬が使われたのか、馬を見るだけで邪気が祓われるとされた信仰の根拠、神社における白馬信仰の系譜、そして現代に残る白馬神事の姿までを、多角的に解き明かしていきます。

なぜ「青馬」と書いて「あおうま」と読むのか — 失われた色名の謎

白馬節会の最大の謎の一つが、その表記と読み方にあります。

古代の文献には「青馬節会」と表記されていることが多く、「あおうまのせちえ」と読まれていました。しかし実際に使われていた馬は白色(または極めて明るい灰色)でした。なぜ「青」と書いて白い馬が登場するのか — この疑問は古来多くの研究者を悩ませてきました。

この謎を解く鍵は、古代日本語における色名の体系の独特さにあります。古代日本語では、色名は現代のように厳密に分化しておらず、「あお」「あか」「しろ」「くろ」の四色が基本でした。この中で「あお」は、現代の「青」だけでなく、緑色、灰色、薄い色全般を指す広い概念でした。今でも「青信号」「青菜」「青二才」のように、実際は緑色のものを「あお」と呼ぶ慣用が残っています。

古代の人々が「あおうま」と呼んだ馬は、おそらく現代の感覚では「薄い灰色」または「青みがかった白」と表現されるような毛色だったと考えられます。馬の毛色には「鹿毛」「栗毛」「青毛」など独特の分類があり、「青毛」は黒色を、「青鹿毛」は黒に近い茶色を指す専門用語として現在も残っています。

平安時代の途中から、宮中で使われる馬が完全な白色に変化したと伝えられます。一説には、白い馬の方が「純粋さ」「神聖さ」を視覚的により強く表現できるため、徐々に置き換えられていったとされます。しかし呼び名としては伝統的な「あおうま」が残り、表記だけが「白馬」と書くようになりました。読みと表記の不一致が、千年以上前の色名体系の名残として今に伝えられているのです。

馬を見れば邪気が祓われる — 古代中国の陰陽思想の系譜

白馬節会の信仰の根拠を理解するためには、古代中国の陰陽五行思想に遡る必要があります。

陰陽思想において、年の初めである春は「陽」の気が強まる季節とされます。陽の気を象徴する動物が「馬」であり、特に明るい色(白・青)の馬は、陽気の極致を表す存在とされました。新年の初めに陽の気の強い白馬を見ることで、冬の間に身体に溜まった「陰の気」「邪気」を払い、一年の活力を得る — これが白馬節会の信仰的基盤です。

この考え方は、中国の古典『礼記』(らいき)や『淮南子』(えなんじ)などに記された「春は青馬を見るべし」という教えに由来します。中国の宮廷でも年の初めに白馬を観覧する儀式が行われており、これが日本に伝来して白馬節会となったのです。

また『荀子』には「青馬之礼」という記述があり、君主が新年に白馬を観ることで、国家全体の運気が高まるとされました。日本の白馬節会も、単なる個人の健康祈願ではなく、天皇という国家の中心が白馬を観ることで、国全体の邪気を払い、その年の安寧を保証するという、極めて政治的・宗教的な意味を持っていました。

馬という動物が選ばれた理由には、もう一つの古代信仰があります。馬は古代から「神の乗り物」とされ、特に天空を駆ける神々が乗る霊獣でした。日本神話でも、スサノオが天斑駒(あめのふちこま)という馬の皮を剥いで天岩戸の前に投げ込んだ場面など、馬は神々と深く結びついた存在です。新年に神聖な馬を観ることは、神々の力を直接受け取る行為でもあったのです。

白馬節会の儀礼 — 紫宸殿で繰り広げられた壮大な式典

白馬節会の実際の儀礼は、極めて精緻で荘厳なものでした。延喜式や貞観儀式といった古代の儀礼書に、その詳細が記録されています。

正月七日の早朝、宮中の左馬寮・右馬寮では、選び抜かれた白馬たちが念入りに洗われ、毛並みを整えられました。馬の鼻面には特別な飾りが付けられ、たてがみには色付きの組紐が編み込まれます。馬を引く馬丁(ばてい)たちも、束帯姿で整列します。

紫宸殿の南庭には、参列する貴族たちが位階に応じて列を成して並びます。天皇は紫宸殿の御簾(みす)の奥から、白馬の行進をご覧になります。馬は左右の馬寮から交互に引き出され、ゆっくりと天皇の御前を通過していきます。一頭ずつの行進ではなく、左右の馬が対をなして進む様子は、陰陽の調和を視覚的に表現するものでした。

馬の観覧が終わると、紫宸殿で盛大な宴が催されます。これが「節会」の本義で、天皇から貴族たちに白馬酒(しろうまざけ、または青馬酒)が振る舞われ、和歌が詠まれ、舞楽が奏されます。白馬酒とは、白馬節会のために特別に醸造された清酒で、これを飲むことでも邪気が祓われると信じられました。

参列した貴族たちは退出時に「青馬を見たり」と互いに言い交わし、新年の挨拶としました。源氏物語や枕草子には、白馬節会の華やかな様子が随所に描かれており、平安王朝文化を象徴する儀礼の一つでした。

神社に受け継がれた白馬信仰 — 賀茂競馬と住吉の白馬神事

白馬節会は、室町時代頃に宮中行事としては衰退していきますが、その精神は神社の祭祀に深く受け継がれていきました。

京都・上賀茂神社の「賀茂競馬」(かもくらべうま)は、五月五日に行われる流鏑馬と並ぶ伝統的な馬の神事で、平安時代の白馬節会の系譜を引くとされます。境内の馬場で二頭の馬を競走させ、その勝敗で年の吉凶を占う神事ですが、その根底には「神聖な馬の力を神に捧げる」という信仰があります。

大阪・住吉大社の「白馬神事」(あおうましんじ)は、毎年一月七日に行われる神事で、白馬節会の宮中儀礼を最も直接的に継承したものです。住吉大社の神馬「白雪号」が境内を駆け、参拝者がその姿を観ることで、その年の無病息災が約束されるとされます。神事の日には大勢の参拝者が境内に集まり、白馬の姿を一目見ようと長蛇の列を作ります。

京都の貴船神社では、毎年五月一日に「白馬節会神事」が再現されています。これは古代の白馬節会を現代に蘇らせる試みで、装束をまとった神職と白馬が境内を進む様子は、千年前の宮廷文化が現代に息づく姿として注目されています。

また全国の天満宮や八幡宮など、馬と深い縁を持つ神社では、白馬を神馬として大切に飼育する伝統が今も続いています。神馬は普段は神社の厩舎に繋がれていますが、特別な祭礼の日には境内を引かれて参道を進み、参拝者の前に姿を現します。

神馬と絵馬の関係 — 生きた馬から木の板へ

白馬節会から始まる馬の信仰は、日本の絵馬文化とも深く結びついています。

古代日本では、神社に馬を奉納することが最高の祈願形態とされました。雨乞いには黒馬を、晴れ祈願には白馬を奉納する慣習があり、これは中国の陰陽思想(黒は水、白は太陽)に基づくものです。実際に生きた馬を奉納するのは経済的に大きな負担でしたから、徐々に「木彫りの馬」や「絵に描いた馬」が代替されるようになり、これが現代の絵馬の起源となりました。

奈良の春日大社、京都の貴船神社、大阪の住吉大社など、白馬・神馬の伝統を持つ神社では、絵馬にも馬が描かれることが多く、これは「生きた馬を奉納する」という最古層の信仰の名残です。現代のように願い事を書く板状の絵馬とは異なり、本来の絵馬は神への純粋な奉納物だったのです。

また、白馬は単独でも神聖な存在ですが、対をなす黒馬(くろうま)の存在も忘れることができません。白馬と黒馬は陰陽の対をなし、両者を併せて奉納することで完全な祈願となるとされました。賀茂神社や貴船神社では、白馬と黒馬を共に飼育する伝統が長く続いていました。

民間信仰における白馬 — 七福神の宝船と初夢

白馬への信仰は、宮中や神社の枠を超えて、民間にも広く浸透しました。

日本人にとって特に親しまれているのが、「初夢に白馬が現れると吉夢」とする伝承です。一富士・二鷹・三茄子という有名な初夢の吉夢の序列がありますが、これに「四扇・五煙草・六座頭」が続き、さらに「白馬」も特別な吉夢として位置づけられました。新年に白馬の夢を見ることは、白馬節会で実際に白馬を見るのと同じ霊的効果を持つとされたのです。

七福神の宝船の絵にも、白馬が描かれることがあります。これは「白馬を見ることで福が訪れる」という民間信仰が、新年の縁起物にまで広がった結果です。江戸時代には、正月に白馬の絵を玄関に飾る習慣も一部地域で見られました。

また、神社で授与される御守りや絵馬の中にも、白馬の姿が描かれたものが少なくありません。特に厄除けや無病息災を祈願する御守りに白馬が登場するのは、白馬節会以来の千年の信仰が、現代の信仰グッズにまで生きている証です。

民間の俳句や和歌にも、「青馬」「白馬」「初春の馬」が新年の季語として詠まれてきました。芭蕉や蕪村の俳句にも、白馬節会を踏まえた句がいくつか見られます。文学の中にまで深く根を下ろした白馬信仰は、日本文化の通奏低音として機能してきたのです。

現代の白馬信仰 — 観光と現代スピリチュアリティの交差

現代日本において、白馬信仰はいくつかの形で生き続けています。

第一は、神社における白馬神事の継承です。住吉大社、上賀茂神社、貴船神社、明治神宮など、多くの神社で白馬・神馬の伝統が守られ続けています。明治神宮の御鎮座記念祭などでは、特別な日に神馬が境内を進む光景を見ることができます。

第二は、競馬文化との結びつきです。日本中央競馬会(JRA)や地方競馬では、白馬が登場すると話題になり、特に正月開催の競馬で白馬が勝利すると「縁起が良い」として人気を集めます。これは古代の白馬節会の精神が、現代のスポーツ文化にまで形を変えて生きている例です。

第三は、観光地としての「白馬」です。長野県の白馬村(はくばむら)は、白馬岳という山名に由来する地名ですが、その響きから「白い馬」のイメージと結びつき、新年の旅行先として人気があります。冬の真っ白な雪景色の中に「白馬」の名前があることが、潜在的な吉祥イメージを呼び起こすのでしょう。

年が明けて間もない頃、家族と京都旅行に行ったときに、たまたま上賀茂神社を訪れたことがあります。境内の片隅にある厩舎の前で、白い神馬が静かに立っていて、見学に来た親子連れがそっと手を合わせていました。私もつられて手を合わせてみると、なんだか身体の中の重たい気持ちが一度抜けていくような、不思議な感覚を覚えました。「ああ、これが千年前から続いている『馬を見て年を祓う』ということなんだろうな」と、特に解説を読んだわけでもないのに、身体で理解できた気がしたのを覚えています。論理ではなく、視覚と気配だけで何かが伝わる、それが古来の信仰の力なのかもしれません。

白馬節会が教える日本の動物観 — 神使としての生きものたち

白馬節会の千年の歴史が現代に伝えるのは、単に馬という動物への信仰ではなく、日本独特の「動物観」です。

日本の伝統信仰では、動物は単なる「人間より下等な生き物」ではなく、「神と人を結ぶ媒介者」として位置づけられてきました。馬・鹿・狐・鳩・蛇・烏など、神社で「神使」(しんし)とされる動物たちは、神の使者として、あるいは神そのものの化身として、人々の信仰の対象となってきたのです。

白馬節会において天皇が白馬を観覧するという行為は、単に動物を見るのではなく、「神の使者と対面し、その霊力を受け取る」という宗教的行為でした。馬の眼を通して神の眼差しを感じる、馬の姿を通して神の祝福を受ける — このような感覚が、千年にわたって日本人の動物への接し方を形作ってきました。

現代の私たちは、動物を「ペット」「家畜」「野生動物」といった分類で考えがちですが、古代日本人は動物を「神聖な存在の現れ」として見ていました。この感覚は完全に失われたわけではなく、神社で神馬や狛犬や狐像に出会ったとき、私たちが何か特別なものを感じるのは、千年の信仰の記憶が無意識のうちに働いているからなのかもしれません。

次に神社を訪れたとき、もしそこに神馬の厩舎があったら、ぜひ立ち寄ってみてください。白い馬の眼を見つめると、千年の時を超えて、白馬節会の宮廷貴族たちと同じ感覚で「神の使者」と出会うことができるはずです。新年の初詣ならばなおさら、白馬を一目見ることで、その年の邪気が祓われ、新しい一年の活力が湧いてくる — そんな古代の信仰を、現代の私たちもなお体験することができるのです。

この記事を書いた人

神社の謎 編集部

神社や神道の知られざる秘密を、わかりやすく現代の暮らしに届けています。

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